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日本と牛乳の歴史:食物帝国主義

Updated: Aug 30, 2020

帝国主義と言えば銃や大砲を思い浮かべるかもしれないが、最近 “culinary imperialism”、つまり「食物帝国主義」というものが学界で取り上げられている。食べ物を帝国主義と結びつけるのは大袈裟ではないかという反応は十分理解できるが、「帝国主義」の定義を見てみよう:「飽くことなく自国の領土・勢力範囲を広げようとする侵略的傾向。」帝国主義の勢力範囲の広げ方をただ土地の問題に止めるのは間違いではないだろうか。歴史を見れば、帝国主義は政治と経済の問題でありながら、社会、文化、言語の問題でもある。日本が韓国を植民地にした時、韓国人は日本語を無理矢理学ばされた例が我が国の歴史にもある。


日本は西洋ではない国の中で珍しく、植民地にはされたことはないが、食事も含む文化の面では帝国主義の影響は逃れなかった。19世紀の日本が必死に西洋の技術やファッションを取り入れ、その中には化学技術のように「進化」と呼べるものも沢山あったが、ただの「西洋化」もあった。「西洋化」は帝国主義のプレッシャー、例えば植民地にされたくないことや自国の文化を見下し西洋の真似をすることで生まれるもので、客観的な国としての進歩、例えば国民をより健康にすることや人権をより守ることではない。「西洋化」イコール「進化」ではない。そしてこれは文化の交換を指摘している訳でもない。二つの文化のお互いの芸術や生活様式の学び合いと、戦力が全く釣り合ってない二つの国の間で、植民地にされそうな弱い国が、なんでも強い国を真似しようとすることとは違う。


ここで話したいのは、19世紀から20世紀にわたる帝国主義の影響による日本と牛乳の歴史。牛乳は「野蛮な日本」が西洋化によって文明化しようとする思いの象徴だった。その歴史を少し辿ってみよう。


牛乳は元々日本では飲まれていなかった。飛鳥時代に韓国から持ってきた記録もあるが、最初に日本で牛乳が飲まれるようになったのは19世紀に外国人、主にオランダ人が日本に住み始めてからである。1870年に東京で最初の牛乳店が開かれたが、お客さんは皆外国人だった。それが変わり始めたきっかけは明治維新。明治政府は帝国主義の、強い戦力を持つアメリカを見て、アメリカ人と同じ肉や牛乳を自国民に食べて欲しかった。西洋の帝国主義を真似しようと思うところも間違いの上、アメリカ人は肉や牛乳を食べることで強い戦力を持っていた訳でももちろんなかった。しかし植民地にされたくない日本は西洋の何もかもがより良くて、それを真似するのに必死だった。政府のサポートで牛肉や牛乳を売る企業も北海道中心で成立された。明治天皇が毎日2回牛乳を飲むことが新聞にも載せられた。それくらい、牛乳は政治的な商品で、明治政府から推されていた。牛乳は「万病に効く薬」、「不老長寿が実現する」、「頭が良くなる」、「根気が鍛えられる」など科学的証拠のない発言をチラシに載せて広めた。


この程度の科学的根拠のない発言はもう信じられてはいないが、今でも牛乳は体によくて、強い骨や成長に繋がると一般的に思われている。研究によると牛乳は成長とは関係ない上、逆に骨を弱める結果が出た研究もある。特に日本人の大半は乳糖不耐症であり、白人と違って、牛乳を消化できる体質ではない。実は世界でも多数の人は乳糖不耐症であり、たまたま帝国主義で自国の生活様式を広めようとするのが、様々な人種の中で唯一牛乳を飲む白人なのが不運とも言える。


乳糖不耐症の科学も知らず、明治政府の支援も受けながら、牛乳は「開化國」 の「養生ノ一物」として奨励された。1871年にはほんの数社だった牛乳の会社が、1900年には329社になった。赤ちゃんには母乳をあげずに牛乳を飲ませるトレンドも始まった。そして家畜を飼う上で避けられない問題が伝染病だが、この頃から牛による伝染病は「社会問題」にまで発展するほど頻繁に起こり始めた。


しかし本当に牛乳が主流化したのは20世紀の後半で、つい最近のことだ。第二次世界大戦後、食物の支援も、学校の給食も、アメリカが支配していた。給食で牛乳で飲んだ子供達が乳糖不耐症で下痢や消化不良などの症状が出て、「不思議な病気」として広まっても、連合国軍は給食に牛乳を入れることをやめなかった。動物由来の腐りやすい食物を扱い始めた日本では沢山の食中毒事件も起きた。雪印八雲工場事件では、常態的に牛の膿が混入している牛乳にはよく起こる黄色ブドウ球菌が原因の大量食中毒が小学校9校で起こり、1579人の患者が出た。


こんな中、連合国軍最高司令部は「栄養改善運動」を始め、キッチンカーを全国に走らせ、肉と牛乳とバターを使った料理教室をしたり、健康に良いという広告を始めた。1941年から1953年にかけて、牛乳の消費は倍になった。戦争が終わって20年たった時点ではそれが10倍にも上がった。(>>> 続く)




(戦後のキッチンカー)


戦後は身長も寿命ものびたが、それは食生活が西洋化したおかげという意見もある。戦後の日本は戦時中の日本はもちろん、戦前の日本に比べても全体的に豊かになった。食べるものに困らなくなった。色んな変化がある中、身長や寿命を食事の西洋化につなげるのは無理がある。逆に食事の西洋化につなげられる結果は、心臓病や糖尿病の増加である。


グローバリゼーションによって、各国の食事や服、文化を味わうことはもちろん良いことである。しかし、新しいものを取り入れる時に気をつけて欲しいのは二つの国間のパワーダイナミック。そしてなぜそのものを取り入れるのか。19世紀の本には牛乳を嫌がる子供にどうやって慣れさせるかについてよく書かれていたり、バターを嫌がる「バタ臭い」という言葉ができることで、牛乳やバターが好まれて取り入れられていたわけではなかったのは明らかである。理由は好みではなく、食物帝国主義とその結果、間違った科学が推奨されていたことである。日本人と牛乳の始まりは、政府が世界を植民地にする西洋に憧れていたことで始まり、第二次世界大戦で負け、連合国に支配され始めたことで続いた。そしてその歴史の証は今日スーパーで普通に売られている牛乳である。しかしこの先、帝国主義の影響ではなく、日本人には自分で選んで欲しい。これまでの歴史の出来事で牛乳を飲むことが当たり前になっているが、その当たり前を考え直して欲しい。


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